Parrish 渡米時のお宝アイテム

部屋の掃除するといろいろ出てきますよねえ。。

その壱. Jacksonville Journal Courier (Sunday, March 4, 1990)

Jacksonville Journal Courier (Sunday, March 4, 1990)

アメリカで最初の仕事、イリノイ州ジャクソンビルのFesに出演したときの新聞記事。
私稲船が本棚に挟まっていたのを発見しました。もう黄色く変色して古文書状態です(笑)。新聞は、1990年3月4日(日)付けの"Jacksonville Journal Courier" で、まあアメリカの田舎の地方新聞ですね。拙訳ですが、記事を翻訳してみましょう。

(写真下コメント)
  THE PARISH,滋賀県大津市からやってきた日本のブルーグラス・バンドが土曜日の午後、ホリデイ・インでの第五回ジャクソンビル春の室内ブルーグラス音楽祭り(訳者 注1)で演奏した。右から二番目がこのバンドのリーダー(訳者 注2)柳田秀夫(訳者注3)。ブルーグラス祭りは、日曜の午後まで続く。

(タイトル)地元の祭りが日本のバンドを歓迎

(記事)
  4組の中西部の音楽グループと1組の日本のバンドが、今週末ブルーグラスの祭りで、ジャクソンビルの大勢の人々を前に演奏している。
第五回ジャクソンビル春の室内ブルーグラス音楽祭りが金曜日夕方からホリデイ・インにて開催された。今年の特別ゲストは The Parish、日本は滋賀県大津市からやってきた5人のグループである。
  この日本のバンドのリーダー柳田秀夫は、4年前アメリカのブルーグラスのベスト盤を聴いてからブルーグラスに引き寄せられたと語る。また秀夫は、彼の音楽の好みがビートルズの'60年代サウンドから、ハードにロックするニュージャージーのスター、ブルース・スプリングスティーンまで幅広いとも語る(訳者 注4)。
  秀夫は見せまいとしていたが、彼はバンドの演奏に期待する大勢の人々を前に少しビビッていたようである(訳者 注5)。しかし秀夫の心配は、バンドがステージに上がり、会場から暖かい歓迎を受けるとすぐに小さくなった。秀夫は、彼のバンドは年間約15ヶ所の音楽祭で演奏しているが(訳者 注6)、土曜日の夕方のショウまでは100人以上の大観衆の前で演奏したことがないと語る。
  秀夫は、独学で学んだギタリストだが、オリジナルのブルーグラス曲を書こうと思ったことはないと言う。作曲するほど英語に長けていないからだそうだ。
  The Parish一行は2月28日にアメリカへ到着、3月16日に彼らの島国へ帰る予定だ。17日間のアメリカ滞在の間、バンドメンバーは有名なソングライターでバンジョー・プレイヤーの John Hartford とナッシュビルのギグで共演し(訳者 注7)、ブルーリッジ・マウンテン地区を訪ね、マイアミのブルーグラス・フェスに参加し、そこで「ブルーグラスの父」 Bill Monroe に会いたいという。
  Downstate Illinois Bluegrass Association の TerryJanLease夫妻は(訳者 注8)、今年のこの地のFesが大成功であると公表した。1,000人以上の人々が土曜日の午後のショウに参加した、とJan Leaseは語る。
  他の出演者は、ミズーリ州グリーントップの Sally Mountain Show訳者 注9)、セントルイスから Tom Bradford and the Missouri Tornadoes訳者 注10)、ジャクソンビルの McGee Creek Connection訳者 注11)、ミズーリ州カンサスシティの Bluegrass Brigade
  金曜日の夜には、LewistownのFloyd Webb とジャクソンビルの Ray Hackerによるギター・デュオのステージがあった。また、フィドル・コンテスト(訳者 注12)もこの日行われ、グレンウッドの11歳の少年で、4歳から演奏している Casey Driessennが8人の中から一位となった。


(訳 者 注) (本文へ戻る→)
注1: 日本語にすると面白いねえ(笑)
注2: アメリカではリーダーになっていた。テレビの取材もこなしたぞ。
注3: 「千 拓樹」の本名である。
注4: ビートルズは知っているが、ブルース・スプリングスティーンは初耳だぞ。怪しいなあ、ほんとか?>せんちゃん
注5: がははは(爆笑)。フロントマンはしゃべらんといかんしねえ、しかも英語で。
注6: 昔はFesもいっぱい出てましたねえ・・・。
注7: これは実現ならず残念。Parrishが演奏した後にHartfordのステージだった。Parrishがマイクの位置を変えたままステージを後にしたため、Hartfordがむっとしながらマイクの位置を元に戻していたのを思い出した(爆笑)
注8: このイリノイのフェスの主催者。地元のブルーグラス界の顔役なんでしょう。ほんとうにお世話になりました。
注9: Vocalはカントリーファンならお馴染み、あのロンダ・ビンセント。べっぴんさんでした。
注10: ギターのおっさんは両方の二の腕にモンモン入れた「密売人」?
注11: 主催者Terryさんがマンドリンを弾くバンド。彼らのオリジナル「Blueridge Mountain Morning」をFesのステージで演奏したとき、Terryさんの目は涙でうるうるしてました。Parrishは未だにライブで演奏していますよ。
注12: バイオリン・コンテストです。11歳のガキに大人は誰も敵わなかった・・・。

その弐. Bill Monroeのサイン(直筆・電話番号つき)

Bill Monroe's autograph 千の自宅で発掘されたBill Monroeのサイン。
フロリダはゼファーヒルのFesで念願のBill Monroeに会い、サインをおねだりしたら「なんかあったら電話せい」と電話番号まで書いてくれた。さすがは日本びいきなBill Monroe。ステージ上の貫禄たっぷりな様子とは裏腹に、ステージ降りると気さくな爺さんだったなあ。亡くなってしまった今、この番号に電話するといったい誰が出るのだろう?(尚、番号下2桁はモザイクかけました)